
ケルティはガレージで、溶接機を片手にアルミフレームと格闘し、妻のニーナは台所でミシンをかけ続けていた。自身が熱狂的なアウトドアマンであるケルティは、自分が納得できない製品に妥協することなく、作っては改良を加える日々が流れた。やっと年末に完成したのが29個。世界で初めてのバックパックの誕生だった。その利益は、わずか678ドル。そして53年に90個、54年は220個を販売した。ビジネスとして軌道に乗ったとは言い難い日々が流れた。しかし転機はまもなく訪れた。カリフォルニアだけの市場に限界を感じたケルティは、通信販売のカタログに掲載する事にした。この戦略は彼に大きな幸福をもたらすことになった。カタログに発見した前代未聞のモノ、アルミ製フレーム+分割されたナイロンのコンパートメントに、東海岸を中心に全米の若者達の目が惹かれた。ここからバックパッカーという新たな文化が誕生し、KELTYのロゴを背負うことがステータスとなっていくのだった。ケルティの革新精神はその後も尽きることなく、次々と新しいアイデアを投入しては製品を発表していった。時を置かず、その完成度と機能性の高さは、プロのクライマー達の注目を集め始めた。1963年のF.UnsoeldとF.Hornbeinによるエベレストへの初登頂、1966年ナショナル・ジオグラフィック南極大陸遠征、1975年K2、1982年Cholatseへの初登頂、そして1983年7大陸最高峰遠征…米国の歴史的偉業の多くはKELTYと共に達成されてきた。